塩素は水をまずくするがどうしても必要

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塩素は必要悪

20世紀の後半、病気が病院では治らない時代になりました。現代社会に増加する活性酸素の問題、食事やストレスなど現代病のもとになる個々の生活習慣のあり方、あるいは遺伝的に受け継がれる体質の問題。他にもたくさん理由はるのでしょうが、そういったさまざまな不確定な要因が増えた結果、もはや病気はただ叩いたり切り取ったりすれば治るものではなくなったのです。

現代医学は感染症のような外から来る病気こそ克服しましたが、その人自身のなかから生まれてくる病気に対してはほとんどなすすべをもちません。 ガン、糖尿病、アレルギー性疾患など、現代人にふえている病気は、みなそうした内因性の病気です。こうした治らない病気に対しては、予防しかありません。 医療は病院にいる医師から患者一人ひとりにバトンタッチされたと言ってもよいでしょう。一人ひとりの生活レベルでしっかりとケアしていかなければならない時代になったのです。

毎日毎日の当たり前の生活のなかで、いかに賢くマイナス面を消していくのか、いかに効率的にプラス面を取り入れていくのか。それを考えるか考えないかで、その人の人生も大きく変化する時代になってきたのです。 いままで水や空気は当たり前すぎるほど当たり前の存在でした。しかし、私たちの生命維持に片時も欠かすことのできない物質でもあります。そんな当たり前の重要な物質に村して新たな認識をもてるかどうか、自分なりに実際の生活で改善できるかどうかが、その人や家族の人生を大きく左右することになるでしょう。 そのためには、客観的で正しい知識をもつことが必要です。水は危険と言ぅけれども、では水の何が、どう危険なのかを知らないままでは、結局は自分の生活を改善することはできません。

水道水の安全性やおいしさに関して直接的に問題になるのは塩素ですから、まずは塩素とはどういうもので、どんな役割を果たしているのか、さらに次項で述べるようなマイナス面としてどのような問題点があるのかを正しく理解しておく必要があります。 そのうえで、いたずらに怖がることなく、個々の認識に沿った適切な対策を考えることができるのです。

公共性の高い水道水の安全性

水道水は、もちろん「人々が飲める水」としてそれぞれの家庭や学校などに供給されるのです。その水道水にもしコレラ菌が混入していたらどういう事態になるのでしょうか。O157などの病原菌に侵された水が、いつも水道管を介して市民の口に入る危険があるとしたらどうでしょう。

これは、現在の水道水が「安全ではない」どころの騒ぎではありません。 「水道水が危ない! 」というのは「水道水は絶対に100%安全だ」という安全神話を抱くことに対する警鐘です。 水道水がそもそも一定レベルの安全性が確実に保たれていることは当然なのです。洗剤や農薬などの化学物質がこれだけ氾濫し、大量のし尿排水も水源に混入している現代で、しかも大量の消費量に耐えられるだけの水を安全に供給するためには、塩素の力に頼る以外に方法はありません。 「水道は絶対に安全ではない」ことは事実ですが、だからと言って私たちは水道水を使わずに生活することはもちろん、「水道水に塩素を入れるな」と主張することもできないのです。

むしろ、水道水を利用する前提として「蛇口から出る水に塩素が入っているから安心して飲める」と考えるべきでしょう。 塩素の入った水道水は、受け入れるしかありません。蛇口から出てくるまでは、塩素でしっかり消毒してもらわなければ困るからです。 しかし、そこから先は個人の対処になるわけです。社会の進歩に比例して水道水に含まれる塩素も増えていく現在、水道水に含まれる毒素が体内に蓄積される心配はますます大きくなります。

水に対してもっと関心と正しい知識が必要

蛇口から出た水をどう飲むのかは、個々の健康観に沿ってそれぞれが独自に対処する問題です。 健康に自信のある人のなかには「気にしない」と言う人もいるでしょうが、子供でさえ「半健康」な状態がふえている現在、生命の基本である水にはより安全で機能性の高いものを求める人がふえています。それが普通でしょう。

家庭用浄水器は、すでに3割以上の家庭に浸透したと言われます。生活排水の混入する琵琶湖を原水とする大阪で水道水がまずいことは有名ですが、これを水道局が急速処理によっておいしい安全な水にすることは技術的には可能です。 しかし大きなコストがかかるため、その分だけ水道代が値上がりします。

大阪に住む人に「現状のまままずい水で良いか、水道料金を高くしておいしい水にするか」というアンケート調査をしたところ、かつては圧倒的に「現状のままで良い」という意見が多かったのですが、最近は半々くらいになっているそうです。 こうした認識の変化は、水道水がまずくなったという感覚だけでなく、水に含まれる有害物質がガンなどの危険を増大するということが知られるようになったからこそでしょう。

もし知らなければ、浄水器はこれほど普及しなかったでしょうし、それだけ人々の健康も損なわれていた可能性もあると言えます。生命の基本である水は当たり前すぎるほど身近な存在ですが、そういうものにも常に問題意識をもつことが、21世紀の現代生活を健康で幸せに送るための重要な条件になるのだと思われます。

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