まずは、私のガン病歴から。昭和63年8月、S字結腸ガン切除、平成元年、甲状腺腫瘍切除、平成2年1月、大腸ガンの肝転移で左葉切除しました。

いまこうして生きているのが不思議といえば不思議かもしれません。昭和63年の7月、子供たちが夏休みに入り週末に山口の実家の母をたずね、夜に姉たちと食事をしながらビールを少し口にしました。すると、すこししておなかが下りだし、トイレに行ったら真っ赤な血が出ているではありませんか

これほただごとではないと思い、次の目白宅に戻り、親戚の胃腸科医院をたずね、検査となりました。心配していたとおりかなり進行した大腸ガンでした。

もともと腸が過敏な方で、心配になり数年前に同じ医院で大腸の検査をしましたが、その時は、問題ありませんといわれていました。

幸い術後はとても順調であったし、家が気になっていたので2週間くらいで帰りました。そして平成3年の夏、暑い日々で、ときどき小さい缶ビールを飲んでいましたが、今までと違って頭がすっと吸い込まれそうになるという、変な感じがよくあり、こんなにビールに弱かったかなと思うことがありました。

その後、咳が出始めてずっと続き、「あまりいい咳ではないね」とは皆からいわれていましたが冷房のせいかと思っていいました。しかしこれがガン転移の兆候だったのです。あとから外科医院でのデータを見せてもらったら、5 月(3ヶ月前)の腫瘍マーカーがすでに正常値の上限を超え始めていたのです。

これから手術の1 月まで、このマーカーがうなぎのぼりに上昇した。そしてこれからが私のガン闘病となります。平成3年8月末の腫瘍マーカーの値が異常値になっていて、かかりつけの医師が大学病院の放射線科に紹介され、CTを9月中ごろとりました。

この結果は悲惨で、「手術はもほやできない、化学療法しかない」ということでした。「放射線科では肝動脈注射療法で数人の方が延命しておられる。あなたもやってみましょう」という内容でした。

夫と聞いてがっかりし、次の検査のための入院のベッドがあく1ヶ月後まで、夢だったらいいのにと毎日泣いていました。そんなとき、姉が東洋医学のクリニックに相談に行ってくれました。まさに、私のガン闘病についてもっとも強い影響力を持つオピニオンリーダーにあたる先生となったきっかけになりました。

先生の指示が的確で質の高い内容であったため現在の私があるようなものです。私は深刻な試行錯誤を繰り返すことなく、先生の指示をストレートに信じて、実行しました。「大丈夫ですよ。よくなりますよ」となんらことも無げに明るくいわれ、とにかくやってみょうという気になりました。

そしていわれた玄米食と人参・リンゴジュースをさっそくはじめ、入院してからも個室だったので婦長さんに無理をいって続けさせていただいた。「血管造影の結果が思っていたよりよかった」と放射線科の医師からいわれましたが、治療方針は変えられませんでした。

その後も次々検査がつづきました。ある日、放射線科の若い医師がベッドに腰かけて、「どうして切らないの」といわれ、「エー!、手術できないと外来の先生からいわれていたのに」と思わず興奮してしまいました(少し希望が出てきたぞ! )。

義兄(医師) に電話して尋ねると、「それはオペしてもらいなさい」。私の職場の上司の薬剤部長も同じ意見で、外科の教授に若い主治医が紹介してくださいました。

1月のはじめに入院し、ベストメンバーで8 時間に及ぶ手術を行ってもらいました。術後2 週間くらい付き添いのおばさんについてもらいました。

術後は食事を少しとったらおなかいっぱいになることはありましたが、順調でした。術後40日くらいで退院しました。そして、「予防のために化学療法をしましょう」ということですでに手術中にリザーバーが埋めこんでありました。

5FU (抗ガン剤の一種) の動脈注射をはじめは1週間に1回、その後2 週間に1 回おこなった。CEA (腫瘍マーカー) が術前35.0 であったのが術後6.8 になり2 ヶ月後に2.3に下がり外科の教授の話でこんなに下がるとは思わなかったと言われたそうです。

この動脈注射を1年続けた後、肝臓のCTを摂っていただき、全く心配ないことがわかりました。その後、動脈注射は打ち切りとなり、内服のガン薬(フルツロン)に切り替わりました。その後、フルツロンを服用しましたが、副作用らしきものはほとんどありませんでした。

ガンにおかされてからの私の食生活

食生活
  • 人参・リンゴジュースを朝にコップ1杯
  • 主食は玄米に小豆
  • 野菜類をたくさん摂る
  • 冷たいものはあまり食べない
  • 植物性タンパク質(豆腐、豆類)をかかさず
  • 生姜湯を毎日寝る前に飲む
  • 魚介類
  • お茶(コーヒー)は飲まない
  • 禁酒
  • 甘いものは食べない
  • 牛乳、バター類も摂らない
生活習慣
  • 夜10時までに寝て、8時間の睡眠をとる
  • るべく車に乗らないで歩く
  • ストレスをためない
  • 仕事で無理をしない
余暇を楽しむ
  • よい友を持つ( おしゃべり会)
  • 歌を唄う
  • 少し体力がついてから山登り
  • 本を読む、ビデオをみる
  • 旅をする
定期的に受診する
  • 定期的に検査を受ける
  • 他の科もチェックする
  • 職場の定期検診ほ必ず受ける

現代医学の優秀な医師や研究者が、膨大な時間とお金と労力をかけてガン治療の研究を しているにもかかわらず、現段階ではなおかつ「ガンは難治」といわざるを得ません。

よって、ひとつの「自然食品」「健康食品」で、ガンが治るというようなことはまず絶 対あり得ない、といってよいでしょう。

ガンを防ぎ、治すには、「血液をきれいにする」 こと以外ないわけです。 血液浄化により、予防のほうほ確実にできるとしても、平均20年近くかかって診断がで きるくらいまで大きくなったガンを、そう簡単に治すことは不可能でしょう。

ガン腫をつくらなければならないほど、血が汚れているからこそ、ガンになったわけで、 それを自然療法だけで、短期間に治癒させるなどというのほ無理というものです。

たとえ、 自然療法を始めても、その途中で悪化、転移することも十分考えられます。 よって、ガンという腫瘍のために、食物の通過の道をふさいでしまう可能性のある胃腸 のガン、気道を圧迫して呼吸困難をおこす可能性のある肺ガン、出血のため重篤な状態になりかねないガン...等々、やほり、危急の状態を切り抜けるため、必要に応じ手術をほじめとする医学的処置は受けるべきです。

また、ガンを医学的に手術や放射線や抗ガン剤で、切除またほ消滅させた後は、「ガンがなくなった」という積極的な気分が、脳からβ・エンドルフィンをほじめとする脳内麻薬の分泌を促し、血行をよくして体を温め、免疫力も増強させて、よい結果が得られるかもしれません。

それに、切りとられたガン腫が、その段階で、すでに血液浄化の役目を十二分に果たした状態だったら、ガンの再発ほないかもしれません。ただ、ガンの現代医学的治療を受けるときも、自然療法=浄血療法を続けられると、よりよい結果が得られる可能性ほ十分にあります。

とにかく、主治医とよく相談し、できれば、セカンド・オピニオンやサード・オピニオンも参考にされて治療を選択されるのが賢明でしょう。

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睾丸ガンの抗ガン治療で抜けた髪の毛が復活

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私は、大学を卒業し、一流企業に就職でき、よく人からはエリートコースまっしぐら...なんて言われていました。順風満帆の少サラリーマン生活を送っていたつもりでいました。

1993年8月中旬、左睾丸の腫れに気づき、近くの泌尿器科を受診。睾丸炎と診断され、抗生物質を処方され2ヶ月間服用しましたが、全然よくならないため、総合病院に10月の末に紹介され受診したところ、睾丸腫瘍のセミノーム(精上皮腫) と診断され、即入院。翌日、睾丸の摘出手術を受けました。1 月に一時退院し、東洋医学のクリニックを受診しました。

12 月から、抗ガン剤のシスプラスチンを5 日間ずつ3 クール投与するまでの仮退院ということです。とにかく、抗ガン剤の治療をするにせよ、しないにせよ、血液を浄化することが大切であると言われ、1 週間の人参・リンゴジュースによる生活療法をやっていただきました。

12月中旬に予定通り、抗ガン剤の治療のため入院、3 クールの治療後、3月に退院しました。私は、抗ガン剤の副作用で頭髪はほとんど失い、全身の皮ふもカサカサ、体重も減少し、まるでひからびた老人のようになってしまいました。

ただし、抗ガン剤が奏効して、治療前に見られた肺と腎臓の転移巣ほ消失しました。ただ、睾丸腫瘍の消長のめやすとなる腫瘍マーカーAFPが44 (正常範囲10以内) と高く、見えないガンがどこかに存在していることを示しています。

とにかく、血液浄化の必要性を理解していたので、再度4月13 日より1週間の人参・リンゴジュース中心の生活療法をやっていただきました。その後は、朝は、人参ジュースを3杯だけ飲み、昼、夕食は、玄米菜食に、少々少々の磯もの(海老、カニ、イカ)を添える食生活にし、毎日1万歩を目指して歩きました。するとAFPが次のように変化しました。

  • 3/14(40)
  • 4/14(27.9)
  • 4/25(20)
  • 5/9(19)
  • 6/2(15)
  • 8/9(10)

7月から会社に復帰し、8 月に主治医の診察を受けたところ、「あまりの回復ぶりにびっくりされた」とおっしゃっていました。

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脳腫瘍、生存率5年の宣告も諦めなかった

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当時5歳だった長男も今年成人式を迎えることができました。あのころ病院の検査の結果にいつも暗くなり、いても立ってもいられず、東洋医学のクリニックに電話をしました。

当時の私たちはワラをもつかむ思いで先生には相談を申し上げていたのです。電話で「それくらいなら大丈夫ですよ」とおっしゃっていただいたときには心強さと安堵感を持ったものでした。

そして、非礼にもかかわらず、電話の最後にほ必ず「いつでもどうぞ」といっていただいたありがたさに、守られているといつも私たちは感謝しておりました。それほ今でも変わりません。

あのときのことがあって、今の息子がおります。息子は脳腫瘍を患い、手術、放射線治療、化学療法と当時の最先端の医学のすべてを受けましたが、助かる見こみはうすく、5年生存率は10%といわれておりました。また、かりに助かっても再発の恐れがあるという、特に悪性の強いものでした。

そのころ、偶然に『病気はかならず治る』という本に出合い、すぐに先生に手紙を書きました。その時のお返事にあった「玄米菜食で基礎体力をつくりなさい」のひとことにとっても勇気つけられました。

やっぱりという思いでした。といいますのもそのころの私たちは玄米に出合っていたからです。私たちは病気の治療と同時に病院には内緒で、あらゆる民間療法もこっそりとりいれてやっておりました。

当時入院していた同じ部屋の人に、脳腫瘍を手術せず、自然薯を脊髄に貼るとともに玄米と梅干しで治った人がいる、という情報を聞き、さっそくその本人と家族の方に会いに行ったりしていましたので、ますます意を強くしました。それから、息子は小学生の間中、学校へは玄米弁当を持参しました。本人は給食も食べたかったでしょうが、よくがんばったと思います。今では風邪ひとつひかずに仕事をしています。
あのとき玄米に出会ったおかげで今日の息子がそして私たちがあります。

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乳ガン、気軽さが心支えとなった

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自分で乳ガンを見つけてから5年余りが経過しました。当初、何人かの先生の診察も受けたが、すべて手術を勧められた。「同じ乳ガンでも、性質の悪いものだから、早く手術をうけないと... 」

しかし、私は医者の勧める治療法は受けないことにした。私の周囲でガンで逝った人々のことを考え、自分の体質や今まで生きてきた経過を考えると、急いで悪い病変を取り去ることで、病気が治るとは考えられませんでした。

家族にもその旨を伝えると、それなら食生活の見直しと過労をさけることを家族も一緒に考えることにしようということになりましたた。

そこでさっそく穀物、生野菜、人参ジュースを中心にした無塩食のゲルソソ療法を試みることになり、良質の人参や穀物、野菜を主にした今までとはまったく違う食事内容にしたり、転地、漢方、ビタミソC大量療法、体験入院も実践しました。

心身に負担になることは一切受け入れない、いわばわがままな暮らし方などを試みていました。しかし、不安はいつもつきまとっていましたた。そのようなことを試みて半年ばかり過ぎたころ、東洋医学のクリニックを受診することになりました。

伊豆で、その先生の健康講話をお聞きすると、ガン治療について私が抱いていた疑問が、ひとつずつ解けていくような感じでした。

現代栄養学から見たら上等だった私の食生活ほむしろガソや生活習慣病の原因となるものでした。そこで、東洋医学的な考えに基づいた指導に従って人参・リンゴジュース療法が始まりました。

1 回目はダイエットを1 週間、ついで2 週間、4 週間、と間隔をおいて実施しました。体重はだいぶ減少しましたが、若い時代の体重を考えると、もっとやせる必要がありました。

ダイエット中は、入浴、散歩、生生姜湿布、枇杷等を治療室で受け、後は、心のおもむくままに、散歩、読書、美術館めぐり、そして、現実の生活を離れて、今までの人生をじっくりふり返ってみました。ただただ忙しく毎日を過ごしてきた心身にとって、病気になった今、第一に必要だったのは、この環境での休息だったと気づきました。

それも、長い時間が必要なのだと。体にとって余分なもの、異質なものは溶解していくであろうと、講演をお聞きして希望を持ったのですが、長年かけて腫瘍にまで成長した細胞は、そう簡単に変質するわけはありません。

しかし、当初からの中性脂肪をはじめとして、血液の汚れは、ほとんど正常値になり、検査結果の説明時には、満点をいただくことができました。

病状も、当初診察を受けた医師の言葉のように急速には進行しませんでした。以後、食生活、休息と運動(散歩)、ストレスの軽減等を心がけ、ときどきは伊豆の自然の中でエネルギーの補給をし、これがご診察〜と思えるような、先生のユーモアに満ちたご診察をいただく、ということが続いていました。

肉類、乳製品、ケーキ類等は食べないこととし、野菜、くだもの、穀類、なかでも玄米や芋、豆類を多く摂るようにしましたた。

外食やデパートのお惣菜は全部利用できないので、すべてが家での手づくりになりました。日課として、休息と散歩、自分の好きなことをして過ごす時間をまず、確保しました。

病気になってから知り合った友人たちとのハイキングは、梅干しの入った玄米おむすび、煮物、人ジュースをリュックに入れ、公園や自然豊かな郊外を歩くものです。

友人たちとは病気の話になることが多いのですが、共通の関心事であり、知恵を出し合えるという点で、楽しいおしゃべりとなりました。こうして、もう5年もの時間が過ぎていました。まだ5 年という気持ちになることもあるですが。今では食事制限はいくぶんゆるくし、わずかながら仕事もし、日常の主婦業は落第点ながらもこなしています。

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私は、昭和62(1987) 年9月、国立ガンセンターで、「声帯上型喉頭ガン」と診断され、30回の放射線照射で一応治療は完了しました。

昭和63年12月になり、左首リンパ節に大きなしこりを見つけ、結局は転移性ガンとして摘出手術を受けました。ずっとガンセンターには毎日通院していましたが、平成元年3 月に入り、喉頭鏡検査で、咽喉頭部に「腫れと発赤」があると指摘され、再発を怖れようになられました。

ちょうどそのころ、東洋医学的な治療が必要だと感じていました。いわゆる体質改善で免疫力を上げるという方法です。

1週間の人参・リンゴジュースを中心にした生活療法をはじめて、身長162cm、68 kgの体重が63 kgに減り、瘀血そのものの赤紫色の顔色もすっかり、きれいなピンク色に改善しました。

4月に、ガンセンターで診てもらったところ、「腫れも発赤も引いているので、2 〜3 ヶ月したら、また内視鏡をやりましょう」といわれ、その後は、朝食は人参・リンゴジュースをコップ3 杯とみそ汁1杯、梅干し1 個だけ食べ、数km離れた会社まで歩くようにしました。

昼食はそば、夕食は、玄米菜食を中心に少量の魚介類、それに日本酒の熱かん適量という生活に切り替えたところ、9月には体重も58 kgまで落ち、主治医から「のどはまったく異常なし。数年前よりずっときれいでよくなっている」といわれ、全身状態もすこぶる快調の毎日を送っていました。

しかし、平成4年になり、バブル崩壊で会社の経営も大変になり、心労が重なってくると、毎日の散歩もやめ、玄米食もいやになり、酒量も増して、やめていた契煙を再開するという以前の悪癖が始まってしまいました。

すると、平成6年4 月にガンセンターで「のどがおかしい」といわれて生検を受け、5月にも「のど全体が炎症をおこしている」と指摘され、7月には「左声帯全体がガンになっている。

右側は3 分の2 くらいがガンである疑いが濃厚」と内視鏡の結果、診断され「手術しないとダメ。リニアック(放射線) の照射は以前にやったので、放射線治療はもうできない」といわれてしまいました。

しばらく、東洋医学的な治療は遠ざかっていましたが、8 月24 日に2 年半ぶりに受診しました。玄米自然食に戻すこと、散歩、禁煙、節酒などの健康生活の基本に戻るように言われ、もう1 回、血液浄化のために人参・リンゴジュース療法をやるよう言われました。

8月末から、1週間のジュース中心の療法を開始したころ、赤紫で疾血を呈していた顔色がスッキリとし、血圧も150/110mmHG が130/80mmHGと下がり、体重も51kgに減って、また、平成4年以前の健康状態に戻りました。

当初の予定通り、10月18日にガンセンターに入院し、10月25 日に全身麻酔で声帯の生検を始めたところ、3 人の医師が何回調べてもガン腫が見つからず、検査も中止となり、数日後退院の運びとなりました。

以後、平成8年6月の診察で毎日5~10km歩いており、手足も温かくなり、元気です。あまりに調子がいいので、受診もしなくなってしまいました。

不自然食、運動不足、喫煙などの悪い生活習慣が続くと、顔やてのひらが赤紫色になり、「瘀血」の状態になられ、そのときに必ず、「ガン」が発生してきます。

それが、人参・リンゴジュース療法、玄米自然食、散歩などで、生活習慣が正されると、顔色もスッキリと癖血がとれ、ガン腫も姿を消す、という明らかな相関があります。

このように、ガンがさほど進行していない場合、山の尾根を歩いているのと同じように、ちょっとした風向き(生活習慣)の変化で、山の一方の斜面(病気=ガン) 側に落ちたり、また他方の斜面(健康) 側に戻ったりすることがよくわかります。いかに日常の生活習慣が大切かを、実感されるはずです。

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卵巣ガンを自然療法で

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思えばもう14年前の年末のことでした。家内が生理日でもないのに出血するというので地元の総合病院に検診に行ったととろ、 「多分卵巣のう腫でしょう。年が明けてから入院して手術しましょう。心配いりません」との診断で、新年を迎え、早々に入院し、その2 〜3 日後に手術を受けました簡単な手術とのことで、手術室の外の廊下で待っていましたが、なかなかおわらず、2時間近くもかかりました。

やっと手術がおわり、主治医の説明で切りとった卵巣部分を見せてもらいましたが、それはみるからに毒々しい紫色をしたある肉の塊でした。

素人目にも、これほかなり悪性の腫瘍と想像できました。銀行を脱サラして15年、事業も順調で何の心配もない幸せな毎日が、突如として地獄の庇に突き落とされたのです。

手術の2〜3 日後にほ、家内に病状を説明し、ガンである事をあえて告知しました。それは、ガンという病に真正面からいどむかめで、相手が見えずしては闘えないと思ったからです。

それからの3 ヶ月間は壮絶なガンとの闘いでした。抗ガン剤による点滴注射が始まるや、あんなに元気だった家内の顔色がみるみる土色に変わり、胸の中が焼けつくように熱いと、もがき苦しみ、そして嘔吐の連続で、はたで見ていられないほどの苦しみの連続でした。

やがて、髪の毛も抜け、別人のような変わりようでした。そのように地獄のどん底であえいでいるときに、漢方薬店の奥さんから紹介さ山たのが『病気はかならず治る』という本だったのです。

地獄のそこで一筋のひかりを見いだし、勇気づけられたのです。もしかして、家内も助かるかもしれない。3回目の治療が開始される数日前に主治医に談判し、「どうせ助からないのなら、余生を自宅で好きな家庭菜園等の土いじりでもさせて、悔いのない最期を送らせたい」と訴えて、自宅につれ帰って、自然療法を受けさせる了解をなんとか取りつけました。

1月はじめに入院して、ちょうど、3ヶ月目の4 月に退院でした。この90 日の間、朝夕一日もかかさず、自宅から玄米食に自宅でできた野菜類その他、豆乳、人く参・リンゴジュース、それに地下80 mより汲み上げた地下水も運びました。

少しでも汚染されていない水や体の毒を排泄させる薬草などの煎じ薬を飲ませたかったからです。自宅に帰るや、いちばん最初に実行したのは、人参・リンゴジュースによる1 週間の断食でした。この3ヶ月間、抗ガン剤という強力な毒素を大量に摂取しているので、この毒素を排泄させることと、低下している免疫力を回復させる大きな目標があったからです。

私の父は医師ですが、彼にしてみれば、突然病院からつれ帰り、即座に人参・リンゴジュースの断食をおっ始めたものだから、かなりショックだったようです。

しかし、断食を終えてみて衰弱するどころか、長い間の抗ガン剤による副作用でどす黒かった顔色や唇の色が、鮮やかなピンク色にもどったことにほ驚き、その断食の効果を評価してくれました。

父も手術前から漢方薬をいろいろ研究してくれました。その漢方薬のおかげで、抗ガン剤による副作用も最小限に抑えられました。

食事のはうは、玄米菜食を心がけ、新鮮な果物、小魚、緑黄色野菜を中心にとり、手術後3年間は、血液を汚すといわれる肉類や卵、牛乳等は極力抑えました。

手術後3年間は無我夢中で頑張りました。3年間を乗りきることで、どうにか自信みたいなものが出てきて、我々夫婦にも多少ゆとりも出てきていました。

2 〜3 ケ月に1 回は、1 週間の人参・リンゴジュース断食も夫婦で行いました。お陰様で日がたつにつれて、体力もつき、最終目標の5年間も無事乗りきりました。この5年間を無事乗りきったのを契機に、私も自分なりに自然療法を勉強しました。困った人に少しでも情報提供ができればと思ったのです。いろんな自然医学の勉強をするようになりました。

その結果、現代医学でほ病気の原因を追及せず対症療法が中心ですが、病を引き起こすガン体質こそ問題であり、その体質を改善する方策こそ早急にしなければならないことなのだと感じました。

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私は、会社の社長としての仕事の猛烈な忙しさが続いた平成元年、異様な強い腰痛に続いて血便が出現、そのうち下腹部に自分でも「しこり」を触れ、便も細くなり、日常生活でも、「お腹が冷たい」「お腹が重い」と始終感じていましたが、忙しくてなかなか病院に行く時間がとれず、たまりかねてやっと受診したのが、平成3 年になってからです。

もちろん、診断は、大腸ガン。ただし、運よく、内視鏡的に切除が可能ということで、開腹手術をせずに、ガンの切除にも成功しました。

しかし、平成5年暮れになり、また、粘血便が出現し、お腹もふくれ、ガスも充満してきたので、病院を受診すると、「また、大腸ガンができている。内視鏡で取るには大きすぎるのでダメ。しかもかなり下のほううにあるので、人工肛門をつける以外ないと診断されました。

すでに、入院の日も決まっていました。主治医から何回説得されても「やりたくない」といって拒否し続けたところ、主治医が「それなら、この病院で診察していたことは、口外しないでください。責任がとれませんから」といわれました。

それもそのはず、この病院は東京都立の某有名病院なのです。「承知しました」と答えて、以後、自己流の自然療法を始めました。

毎日、コマツナとキャベツ、アロエも加えた人参・リンゴジュースの愛飲、主食は、粟、キビ、小豆も加えた玄米食、それに、毎日40分から50分の散歩、遠外線サウナでの発汗、お腹を中心に全身に温灸を施す、年2〜3 回の1週間ずつの人参・リンゴジュースダイエット...などです。

東洋医学で治療するクリニックには平成6年から受診していますが、この病院でも友消化器の専門病院に紹介状を書いていただきました。

大腸ファイバーの検査は「やりたくない!」と先生に伝えました。結局は平成12 年の1月まで、自然療法を継続しています。

もちろん、体調はよく元気で、顔のツヤも安定しており、毎日、快便です。1 月初旬、

都立病院の待合室で仲よくなった同病の人は、手術されたのにもかかわらずすべて死んでしまいました。自分でこれだと信じた治療法を、一生続けることが一番の抗ガン治療です。

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