私は、昭和 62 ( 1987 ) 年 9 月、国立ガンセンターで、「声帯上型喉頭ガン」と診断され、 30 回の放射線照射で一応治療は完了しました。
昭和 63 年 12 月になり、左首リンパ節に大きなしこりを見つけ、結局は転移性ガンとして摘出手術を受けました。ずっとガンセンターには毎日通院していましたが、平成元年3 月に入り、喉頭鏡検査で、咽喉頭部に「腫れと発赤」があると指摘され、再発を怖れようになられました。
ちょうどそのころ、東洋医学的な治療が必要だと感じていました。いわゆる体質改善で免疫力を上げるという方法です。
1週間の人参・リンゴジュースを中心にした生活療法をはじめて、身長162cm、68 kgの体重が63 kgに減り、瘀血そのものの赤紫色の顔色もすっかり、きれいなピンク色に改善しました。
4 月に、ガンセンターで診てもらったところ、「腫れも発赤も引いているので、 2 〜3 ヶ月したら、また内視鏡をやりましょう」といわれ、その後は、朝食は人参・リンゴジュースをコップ 3 杯とみそ汁1杯、梅干し 1 個だけ食べ、数 km 離れた会社まで歩くようにしました。
昼食はそば、夕食は、玄米菜食を中心に少量の魚介類、それに日本酒の熱かん適量という生活に切り替えたところ、 9 月には体重も 58 kgまで落ち、主治医から「のどはまったく異常なし。数年前よりずっときれいでよくなっている」といわれ、全身状態もすこぶる快調の毎日を送っていました。
しかし、平成4年になり、バブル崩壊で会社の経営も大変になり、心労が重なってくると、毎日の散歩もやめ、玄米食もいやになり、酒量も増して、やめていた契煙を再開するという以前の悪癖が始まってしまいました。
すると、平成 6 年 4 月にガンセンターで「のどがおかしい」といわれて生検を受け、 5 月にも「のど全体が炎症をおこしている」と指摘され、 7 月には「左声帯全体がガンになっている。
右側は3 分の2 くらいがガンである疑いが濃厚」と内視鏡の結果、診断され「手術しないとダメ。リニアック(放射線) の照射は以前にやったので、放射線治療はもうできない」といわれてしまいました。
しばらく、東洋医学的な治療は遠ざかっていましたが、8 月24 日に2 年半ぶりに受診しました。玄米自然食に戻すこと、散歩、禁煙、節酒などの健康生活の基本に戻るように言われ、もう1 回、血液浄化のために人参・リンゴジュース療法をやるよう言われました。
8月末から、1週間のジュース中心の療法を開始したころ、赤紫で疾血を呈していた顔色がスッキリとし、血圧も150/110mmHG が130/80mmHGと下がり、体重も51kgに減って、また、平成4年以前の健康状態に戻りました。
当初の予定通り、10月18日にガンセンターに入院し、10月25 日に全身麻酔で声帯の生検を始めたところ、3 人の医師が何回調べてもガン腫が見つからず、検査も中止となり、数日後退院の運びとなりました。
以後、平成8年6月の診察で毎日5~10km歩いており、手足も温かくなり、元気です。あまりに調子がいいので、受診もしなくなってしまいました。
不自然食、運動不足、喫煙などの悪い生活習慣が続くと、顔やてのひらが赤紫色になり、「瘀血」の状態になられ、そのときに必ず、「ガン」が発生してきます。
それが、人参・リンゴジュース療法、玄米自然食、散歩などで、生活習慣が正されると、顔色もスッキリと癖血がとれ、ガン腫も姿を消す、という明らかな相関があります。
このように、ガンがさほど進行していない場合、山の尾根を歩いているのと同じように、ちょっとした風向き(生活習慣)の変化で、山の一方の斜面(病気=ガン) 側に落ちたり、また他方の斜面(健康) 側に戻ったりすることがよくわかります。いかに日常の生活習慣が大切かを、実感されるはずです。
コメント